2014年3月29日

“いま”だからリアルに感じられる「なぞの転校生」

40年前に小坊、中坊だった諸君! 新しい「なぞてん」は見てますか?











毎回見るたびに、やっぱり僕のドラマ好きはここが原点なんだな、と再確認しています。小5の時の「タイムトラベラー」からはじまって、「夕ばえ作戦」、「未来からの挑戦」「幕末未来人」、そして「七瀬ふたたび」まで。少年ドラマシリーズでタイトルが出てくるのは眉村卓や光瀬龍、小松左京と、どれもSFジュブナイルばかり。


その後、何十年も経て、「ジュブナイル」(監督:山崎貴 / 2000年)、「HINOKIO」(監督:秋山貴彦 / 2005年)、そして「時をかける少女」(監督:細田守 / 2006年)、「サマーウォーズ」(監督:細田守 / 2009年)と続いてきたわけですが、どうもサマーウォーズ以降、ピンとくるSFジュブナイルが出てこないのを不満に思っていたところでの本作だったのテンションダダ上がりなわけです。


そんな中、今回のドラマ24の「なぞの転校生」はどんなテイストになるのか、とっても気になるところだったのですが、企画・プロデュース・脚本が岩井俊二さん(「Love Letter」「スワロウテイル」「リリシュシュのすべて」など)、監督が長澤雅彦さん(「青空のゆくえ」「夜のピクニック」など)ということで、いい感じの独特な空気感に仕上がっていて好感触。岩井さんは今回はテレビドラマシリーズを手がけるのははじめてという事で、期待して毎週欠かさず見ています。






舞台が原作の大阪、少ドラの時の東京とも違い、北関東の佐野市(青春ドラマってなぜか北関東の小都市で撮影される事が多いですね)というあたりが、いい空気感を生み出しているのかも。とりわけ、夕方、薄暮の時間帯に、街にギラつく感じがなくて、静かにゆっくりと夜に向かっていくあたりがとってもいいのです。この感じは、もう大都市では表現できないのかも。ぜひスクリーンで見てみたいと思わせる映像に仕上がっていると感じています(岩井色が強すぎるという声もあるようですが、僕は好きですね)。

少ドラ版で星野利晴さん(現在はNHK「にほんごであそぼ」などの振付師)が演じていた転校生・山沢典夫を本郷奏多さん(「HINOKIO」でのサトル役!)が演じるというのには若干の違和感を感じていたのですが、実際、見てみると、これはこれはかなりのハマリぶりかな、と。そして、岩田広一を演じる中村蒼さんには、どことなく少ドラ版の高野浩幸さんに似ていると感じていたら、な、な、なんと、劇中、サイエンス・ライターで広一の父親役を高野さんが演じているじゃないですか。なんてうれしいサプライズ。

もうひとりの主人公、香川みどり役の桜井美南さんはデビュー作で初主演、オープニングテーマの「今かわるとき」も担当。はじめてとは思えない堂々とした演技でこれからが楽しみな女優さんです。そして、後半の重要な役どころとなった姫・アスカ役の杉咲花さん(「夜行観覧車」「名もなき毒」など。Cook DoのCMでの中華の食べっぷりは見事です)の演技も要注目です。

SF要素の設定もきっちり練られていて、原作や少ドラでは未消化だった部分も新たな解釈がありながらも
、納得のいく設定になっていると思います。D-XX世界、次元ジャンプ、アイデンティカなど異次元からやってきた次元ジプシー(この言い方、好きだったんですが)、とだけ設定されていたものもかなり解説が加えられていて、眉村さんが設定を用意していたかと思うほどうまくハマっています。

モノリスの存在がD-8世界に恩恵を齎し、さらには破滅に追いやったという設定、D-8世界の人々の命を奪うのが“プロメテウスの火”としているあたりは、原発事故を多少なりとも意識しているからなのではないでしょうか? プロデューサーの岩井俊二さんは、仙台出身で東日本大震災後にドキュメンタリー「friends after 3.11」を撮っています。


40年前の「なぞてん」は夢物語でしたが、この十数年でテクノロジーが急速に進歩してきた事で、現実に代わりになるようなものが存在しはじめています。実現はしていなくても、モノリスがスマートフォンだったり、原発事故がD-8世界の破滅を垣間見せている“いま”だからこそ、「なぞ転」のドラマ世界をよりリアルに感じられるのかもしれません。




  


ところで、ここから最終話の話が絡んでくるので、未見の方にお断りしておきます。

“いま”だからこそ、リアルに感じられると書きましたが、最終話でD-15世界から次元調査団がやってきて、アスカとモノリオ(山沢典夫)を救出し、アスカを治癒できるD-15世界に連れていってしまいます。ラストシーン、モノリオがまるで「また明日」とでも言いたげな手の振り方で、広一とみどりに別れを告げ、次元ジャンプの扉の中に消えていきました。次元を超えた別れは、再びまた広一とみどりの前にやってくることができないかもしれないのに。

この“別れ”を見ていて、僕らは今後、こんな本当に繋がりが閉ざされてしまう別れを経験することはないのだろうな、と思いました。もし、この別れと同質の別れがあるとすれば、それは僕らにとってはもう “今生の別れ” しかないのだと思います。やっぱりそれは震災を経験したいまだからこそ、別れが重く堪え難いものであることを知っていて、だからこそ出会いが価値のあるかけがえのないものなのだと感じさせてくれるのです。


インターネットが普及して、地球の裏側の人とも気軽にやり取りできるようになりました。それでも物理的な距離が関係を遠くしてしまうのは、インターネット以前とさしてかわりはありませんでした。それが、ほんの数年前からソーシャルメディアが一般化してきたことで、物理的な距離はもちろん、何十年も会っていない人とも時間を超えて繋いでくれるようになりました。


その事はとても便利で、素晴らしい事ではあるのですが、やっぱり僕たちにとっての“モノリス”のような存在なのではないだろうかと思います。モノリスに振り回されず、便利さと豊かさを履き違えないようにするための、新しい時代の智慧が必要になるのだと「なぞてん」を通じて思いを強くしました。


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