2014年5月19日

誰から戦地に行くのか? ではなく、どうやったら誰も戦地に行かずにすむか?

「広告批評」に30年ほど前に掲載された「まずは、総理から前線へ」(コピー:糸井重里さん、デザイン:浅葉克己さん)がまた話題になってます。もう何度目だろ?


「まず、総理から前線へ。」
デザイン:浅葉克己 コピー:糸井重里

近しい方々が、広告であることをすっかり置いてけぼりにして、有事に司令官が戦地に行けるわけない、お花畑左翼はこれだから、って(広告コピーに)マジレスしちゃう論議になっていて(この論議も数年に一度、忘れられた頃に出てくるんですよね)、ホントに残念です。

論議が起きるのは、この広告が反戦広告だという事を考えれば、十二分に役割を果たしているとは思いますが、この広告をネタにマジレスしちゃうのはどうにも的外れな感じがしちゃいます。少なくとも広告の事をまったく知らない素人じゃないんだから。わかりやすく言えば、ビートたけしが「赤信号、みんなで渡れば怖くない」って毒舌漫才やってた時に、交通ルールを守れとか、別に渡れるなら渡っちゃうのは自己責任だろ、と放送作家や芸能関係者がマジ論議しちゃってるのと同じ。どうにもカッコ悪いです。

ともあれ、戦争論議そのものは、ぜひやっていくべきだとは思いますが、「まずは、総理から前線へ」の部分にとらわれずに論議できたらいいんじゃないかと思います。

戦争になったら誰が戦地に行くのかではなく、まずは、戦争を起こさないために、僕たちになにができるのかを論議する事が先だと思うのです。その上で、どうしても回避できない事態になった場合、自分はどうするのかを、総理も含め腹づもりをしておけばいいのではないのでしょうか? 誰かの考えを自分の考えで押さえ込むような言い方をするのは、まさに忌わしき先の大戦で他でもない僕たち日本人がやってきた事で、これだけはやめていただきたいと思います。

それにしても、30年経っても話題になるのは、反戦広告という普遍性があるものだという事だけじゃなく、30年経っても日本の姿勢がブレブレだって事の現れでもあるってことですね。先を見据えてってわけでもないとは思いますが、いずれにしても、糸井さん、浅葉さんってやっぱりすごいですねぇ。

「とにかく死ぬのヤだもんね。」
デザイン:副田高行 コピー:糸井重里


ところで、天野祐吉さんがブログで「とにかく死ぬのヤだもんね。」の方を推しているんですが、もし、この広告はこっちのコピーだったら、どうなったんでしょうね。コピーとしては「とにかく死ぬのヤだもんね。」の方が僕もいい出来だと思いますし、好きなんですが(とくに「とにかく』の部分)、「まずは、総理から前線へ」のようにマジ論議のネタにはならなかったかもしれませんね。