2016年8月2日

『シン・ゴジラ』は本当に傑作か!?



『シン・ゴジラ』、昨日2回目を見てきました。1回目は初日の深夜見てきました。一回だけだと、いろいろブレるだろうから、もう一度見て、よく噛み砕いてから、なにか書こうと思いました。

モロ庵野だとか、未確認生物だとか(オオタチ・ベビーか)、第一次防衛ラインだとか、血液が沸騰してるだとか、鉄オタが黙ってないとか、ダン・ダン・ダン・ダンダ・ダンダンだとか……。いろいろツッコミたいところはたっぷりあって、特筆すべき点や褒めたいところなど、いろいろ書きたいことがありました。


それでも、結論として、やっぱり僕には受け入れられません。


先に関係者試写で見た著名な業界関係者の方が、「すごい、すごいけど、賛否両論の論争になる」とおっしゃっていたのですが、なぜかいま周囲のみなさんの意見は、「すごい」、「傑作」、「ぜったい見た方がいい」、「見るべき●●の理由」、とか。みんな、褒めすぎ。いつも信頼にたる分析をしてくれるブロガーの方までも絶賛。


なぜストレートな批判がないのか。僕は1回見て、業界関係者の方が、賛否両論になる、とおっしゃったのが、よく理解できました。ところが初日、2日目、3日目になっても目立った批判が出てこない。なぜなんだろうと思って、考えてみました。


それで気づいたのが、書いている人のほとんどが、「ゴジラ」を知らないのだということ。いや、なにもゴジラという怪獣キャラクターを知らないと言っているのではなく、昭和29年『ゴジラ』から『ゴジラ FINAL WARS』までのゴジラをほとんど知らないのです。もう一つ言うなら、庵野秀明監督の作品も「エヴァンゲリオン」ぐらいしか知らない、樋口真嗣監督が特技監督を担当した「平成ガメラ」シリーズも知らないんじゃないかと。


残念ながら、僕も昭和29年には生まれていませんが、そのわずか10年ちょっと後、映画館の映写室の窓から、リバイバルの『ゴジラ』を見ました(父は映画館の看板描きだったので、よく映写室には忍び込んでました)。その時の恐怖たるや、マジでちびったのを覚えています。連れて行ってくれた母は、空襲を思い出すから見たくない、と言って終わるまでロビーで待っていました。


昭和40年頃の幼稚園に行ったかという頃の子どもの僕が見た、当時の『ゴジラ』の恐怖は、今回、『シン・ゴジラ』で見せられた恐怖なんか足元にも及ばない恐怖でした。まして、CGや特撮技術を知ってしまった(知りすぎてしまった)いまの僕には似非の恐怖にしか思えません。


それでもゴジラならびに怪獣映画を、ギャレス・エドワーズ版『GODZILLA』あたりから興味を持って、BDなんかで妙にきれいになったゴジラ映画の映像を見て、怪獣映画を知ったと思い違いをしているゴジラ初心者には、『シン・ゴジラ』体験が昭和29年の『ゴジラ』とイコールだと思ってしまうのは仕方のないことだと思います。


もちろん、単なる映画としてはそれで十分なのでしょう。フツーの映画なら、傑作だと思うし、よくやったアッパレと言いたいのですが、これはゴジラなんです。


今回の『シン・ゴジラ』のメインスタッフである、庵野秀明さんも樋口真嗣さんもほぼ同年代(庵野さんは60年、僕は62年、樋口さんは65年だったかな?)で、彼らももちろん子どものころにゴジラに取り憑かれた人たち。彼らは彼らの映画人生を、この映画に、『シン・ゴジラ』に、全部ぶっこんできたんだと思います。そこは素晴らしい、絶賛に値します。


しかし、僕としても、映画を見る側として同じだけの人生をゴジラにぶっこんできた側としては、こんなんじゃ、満足できない。庵野さん、樋口さん、昭和29年の『ゴジラ』を追体験させるだけで、満足したんですか? 原発をゴジラに置き換えれば、すべての人がリアルな恐怖を感じてくれると思ったんですか?


あなたたち、まだまだやれるでしょう。自分たちが過去創り出してきたコンテンツのエッセンスを形を変えて出すなんて、小手先のエンターテインメントに、僕は騙されませんよ。ましてや、日本の宝であるゴジラでそれをやってしまうなんて。もっと、世界が驚くオリジナルのゴジラを生み出してみてくださいよ。


次回作に期待します。おなじスタッフで、こんどこそ、これぞゴジラってのを見せてください。本当にがっかりさせないでくださいよ。


ひとつだけ、細かいことを。最後のシッポのアップ。あれだけはやめてほしかった。


http://shin-godzilla.jp

0 件のコメント: