2018年12月21日

おっさんがクィーン好きだっていいじゃない/クィーン:映画「ボヘミアン・ラプソディ」


『ボヘミアン・ラプソディ』3回目見てきました。映画は余裕があれば、回数見ることもありますが、よっぽどのことがないと大体一回見れば十分で、まして映画館に何度も通うなんて、滅多にありません。もっとも、この3回なんて屁でもないほど、もっと何回も見に行っている人もいるんでしょうけど。

「おい、お前まだ『ボヘミアン・ラプソディ』見てないのか。いいか、クィーンってのはな…」ってな感じで、古臭い知識をひけらかして、部下とか後輩にマウンティングしてくるおっさんもいるようで。そういうのを “ボヘハラ” とかいうそうな。なんでも、そうやって名称つけるのすきだよね、みんな。

かくゆう僕もクィーン好きなおっさんです。

ただ、僕の場合、クィーンが日本でブレイクした時(「キラー・クィーン」が出た1974年ごろかな?)には中学生で、クィーンの洗礼を受けないわけがない世代。1975年の「ボヘミアン・ラプソディ」が先行シングルカットされた「オペラ座の夜」もお小遣い貯めて予約したし、その後の、「華麗なるレース」「世界に捧ぐ」「ジャズ」とアルバムがリリースされるのを楽しみにしていて、確実にクィーンのファンでした。

当時は情報収集はラジオや雑誌。もっともアルバムやシングルのリリース情報を確実に得られるはレコード店だったりする時代です。テレビで洋楽が取り上げられるようになるには、当然「カウントダウンTV」なんかまだまだ、1981年の「ベストヒットUSA」を待たなければなりません。少ない情報の中、音楽好きなら、クィーンが好きになる、そうなるのが当たり前の時代でした。

なので、当時、中学生、高校生、大学生ぐらいまでの音楽が好きだった人たちがクィーンが好きなのは、ある意味、刷り込みのようなもの。フレディが亡くなった1991年まで青春時代を過ごした僕より一回り下の世代の人たちもクィーンの洗礼を受けていてもおかしくないわけで、いまの40代半ばから60代前半ぐらいまでは、クィーンでマウント取ってくるおっさんになってもしかたない。まぁ、多めに見てあげてよ、という感じがしてしまうのです。

もっとも僕はクィーン好きには違いないもの、当時の音楽全般、全方位的に好きだったので、クィーンだけが好きな、熱狂的なクィーンファンというわけではなかったのです。でも、そんな僕でも3回も見てしまうのは、この映画にはそれだけの魅力があるという証左なのだと思います。

というわけで、なに、まだボヘミアン・ラプソディ見てないの? クィーンってのはね。



0 件のコメント: